備前守宗近ナイフ

昭和の30年代に、当時の社会党の浅沼委員長が演壇で公演中に右翼の学生に腹部を短刀で刺されて亡くなったという事件が起きました。当時私は小学生でしたが、ニュースで盛んに報じられて良く覚えています。この事件をきっかけに昭和の刀狩りが行われ小学生の筆箱から鉛筆削りに使っていた、肥後守ナイフが消えて鉛筆削器が登場してくるわけです。
それまでは男の子が遊ぶには、まずこのナイフを使って紙鉄砲やパチンコ、弓矢を作らなければなりませんでした。この遊び道具を作るナイフが無くなってしまったのですから、これ以来遊び方も大きく変わったと思います。





ここのあるのは肥後守(ひごのかみ)にあらず、備前守(びぜんのかみ)で、この頃いろんな何とかの守がたくさん出たうちのひとつです。少々錆があったりしたものはこれを手入れしてさらに刃を研いでよく切れるようにしてあります。
■販売価格は研ぎ代のみで¥500にてOKです。
■07−09:1丁販売・残数29丁